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適正技術

2013年03月01日 10:43

適正技術ということについてまとめてみました。

地域のニーズ、文化、環境、人などを考慮した上での最前の技術。
(身の丈にあった技術)
・コミュニティーの多くの人が必要としている。
・持続可能性を考慮した原材料、資本、労働力を用いる。
・コミュニティーの中で所有、制御、稼働、持続が可能である。
・人々のスキルや威厳を向上させることができる。
・人々と環境に非暴力的である。
・社会的、経済的、環境的に持続可能である。

1973年に刊行された『スモール イズ ビューティフル』
エルンスト・フリードリヒ・シューマッハ(Ernst Friedrich "Fritz" Schumacher、1911年8月16日 - 1977年9月4日)

シューマッハーは、石炭、石油(化石燃料)に依存する産業の今後のエネルギー危機の到来を予測し警鐘を発していた。
その変革のために、「中間技術(適正技術)」を提唱。
小さいこと
簡素なこと
安い資本でできること
非暴力的であること

「歴史上もっとも暴力的な技術、原子力-「平和的」原子核エネルギー-
いかに経済がそれ(原子力)で繁栄するからといって、「安全性」を確保する方法もわからず、何千年、何万年の間、ありとあらゆる生物に測り知れぬ危険をもたらすような、毒性の強い物質を大量にためこんでよいというものではない。そんなことをするのは、生命そのものに対する冒涜であり、その罪は、かつて人間のおかしたどんな罪よりも数段重い。文明がそのような罪の上に成り立つと考えるのは、倫理的にも精神的にも、また形而上学的にいっても、化け物じみている。」

「大きければ大きいほどよい」という考えを意図的に捨て去り、物事には適正な限度というものがあり、それを上下に越えると誤りに陥る。
小さいことの素晴らしさは、人間のスケールの素晴らしさと定義できよう。
現代文明は、「英知」の泉である心の教化に再びとりかかってはじめて生き残れる。

そして物質的な物だけでなく精神性にもふれている。
『精神性を欠いた経済学は一時的な物的満足をあたえるだけで、内的な達成感はあたえません。精神的な経済学は、サービスと同情と人との絆というものを利潤や効率と並んではたらかせます。両方とも必要で、きりはなせません』

仏教的精神性と経済学ーをあえて結びつけた経済学者の先駆者であった。
当時は勇気のある行動だった。仲間の経済学者たちが彼を変わり者と呼ばれた
シューマッハーは「変わり者のどこが悪いのだろうか。変わり者とは革命を起こす機械の部品で、それはとても小さい。私はその小さな革命家だ。それは褒め言葉なのだ」といったそうだ。

無限の成長概念に異を唱えた最初の経済学者。

持続可能性という概念は人間の精神的、物質的福祉を議論の余地なくあらゆる政策や決定に優先させるものである。

そして「土に戻るしかない」とも彼は断言している。

自給自足的な暮らしを土地の人たちが創りなおす事。その際に必要なのが、「中間技術」
ー つまり伝統的な技術を活かしてはいるが、もっと生産性の高い技術で、しかし近代的で統一された最先端技術とはほど遠いもの 。

「どんな阿呆でも物事を複雑にすることはできるが、単純化するには天才が要る」

さあ自分たちの適正技術とはなにか?
自分たちにとっての身の丈に合った技術とは、、、、。
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