2016年05月06日 18:29
熊本に行ってきました。
先日熊本に住んでいる友達の紹介ということで一つの電話がありました。
地震で家が壊れ別のところに土地を手に入れている場所に古いキャンピングカーがありそこで生活をしているので、電源が欲しい、、、、という話でした。
2011.3.11の時には自然ネネルギー関係の仲間で電気の来ていない地域に独立型電源を設置するというプロジェクトをおこなったことがあったので、今回熊本への支援はできないだろうかと相談したところ、手作り太陽電池で国際支援を行っている「国際協力NPOソーラーネット」からプールされている資金を利用したらない資材を調達、デッドストックのパネルなどを積み込み、熊本に行くことになりました。
ソーラーネットのブログ
バッテリーは今回、九州大分の「かのうシルバーサービス」から提供していただきました。
ちょうど同じ時期に熊本でロケッットストーブを作りに行くを計画していた友達と一緒にハイエースに支援物資その他の材料をめいっぱい詰め込んでのいざ熊本へ
まず向かったのは南阿蘇市の知り合いの所、吉田俊郎さんの「種まきハウス」一時的な断水や敷地に大きな石が落ちてきたりというようなことは少なからずあったそうですが、幸い大きな被害もなく、暮らしそのものをoff gridにシフトする試みをしていたりで、暮らしが大きく不自由になることはなかったそうです。今ではつながりのあるところから送られてきた物資を被害地域へ届けたり、ボランティアで訪ねる人たちのサポートなどをされています。
私たちもすっかりお世話になりました。
次の日には知り合いが立ち上げた「南阿蘇よみがえり」という支援団体に向かい、一緒に行ったちゃん山が持ってきた支援物資を届け、一斗缶で作るロケットストーブを役立ててもらおうということで、3台を製作。



後日この場所にもソーラー電源のセットを設置しました。



連休などボランティアの人たちが増えた時などの携帯充電などに使いたいということでした。
次の日は今回行くきっかけになったキャンピングカーへの独立系電源の設置。
森を切り開いた何もない場所でキャンピングカー1台からの暮らしですが、小さな電源が少しでも役立てばうれしいいですね。




次に日には古い友人の子供であるあけるちゃん(関東からの移住者ですでに5人の母)からの提案で子供たちは学校が休みになっていているので、一緒にロケットストーブを作るワークショップをして欲しいという要望。何も準備していなかったのですが、もしかしたら少しでも役に立てればと思い、急遽子供と一緒につくるロケットストーブのワークショップを行いました。
まずは世界で一番使われているといわれているスリース トーン ストーブ(石を3つだけ置いて使う原始的なもの)を作り、ちゃん山オリジナルの一斗缶ロでつくるロケットストーブとレンガを組むだけでできるストーブ、出来上がったストーブでご飯や天ぷらを作り、昼ご飯をいただきました。
美味しかった。






この集まりの最初に自己紹介をしてもらい、みんなどんな被害があったのかも一緒にお聞きすることができました。ほとんどの人がお皿などが落ちてこわれた。家のなかは危ないので一時的に他のところに避難していた。東関東大震災のときもそうだったけど、子供の精神状態が不安定になった。家がいつ壊れるのか不安があり、庭で暮らしているという人。などなど、やはり地震の心配と、稼働中の原発に対する不安を抱えながらの生活のようです。
もう一箇所独立電源システムを設置したのは、阿蘇郡産山村の横溝さん宅です。ここも震源地に近く、揺れはかなり大置きかったそうで、ちょうど家の中を改造中で仮付けした梁が落ちてきたり、ストーブの煙突が離れてしまったり、お風呂の床に地割れができたりと被害はあるものの、地震さえなければ中で住める状態のお宅、そして地震が強い時はすぐ脇の広い空き地に近所の人たちが非難されてくるような場所です。そういう時には独立電源を共有し、携帯の充電やちょっとした照明に使ってもらえそうです。





近所が震源地になった6時間ぐらい前にとっても珍らしい雲を見たそうです。
(カメラの中の写真で見えづらいけど、確かに普通ではない雲に見えました)

この阿蘇周辺には福島原発以後放射能を避けるために多くの人たちが移住してきている地域で沢山の知り合いもいました。
今回友達になれた人たちもいます。
みんなできるだけエネルギーは自給したいという思いで暮らしていた人達です。なかにはすでにかなり自給体制ができていて今回の地震でも特別大きな被害はなく、周りへの支援をしたりしている人達もいます。
現地では電気の復旧は早く、まずは各地の電力会社が電源車を持ち込み、送電線に接続し、電気を流し、それと同時に配線網の復旧を行い驚くぐらい早く復旧するようです。しかし行った時には時々停電がある状態でした。
停電時や家がなくなった人などは独立電源は必要なんでしょうが、今どうしても独立電源が必要という場所はそれほど多くはない気がしました。しかし再び配電網が切断されるような地震がある場合などの備えとしてはとても役立つ道具なので、もしも今後どこかで必要な場合にはできるだけ対応したいとソーラーネットでは考えています。
阿蘇の着いて一番に目に付いたのは多くの自衛隊車両です。災害がある時にはとても力強い仕事をしてくれているのでしょうが、なんで迷彩服をきているのか疑問です。もっと救助隊的な分かりやすい服装にした方がいい気がします。




揺れの大きかったところでは軒並み石碑やお墓が倒れていました。





阪神大震災の時から東日本大震災の時にも、すぐに駆けつけて親子カフェということで、子供の保育所のようなことをボランティアで行っていました。大人たちは自宅の片付けその他で大忙し、保育園も、学校もやっていない時にとても助かるボランティアだろうなと思いました。まだ定住できる宿泊場所ないままでもボランティア活動、そして支援はまだまだ長期的に考えられているようでした。
もしも子供たちにできる支援のアイデアがあるひとはぜひ連絡してみてください。

自宅に住めなくなった人の仮設住宅として使ってもらいたいということで、建てられたものです。4Mの貫材を組みあわあせて作ります。屋根は防水のテント生地で作られています。
もう少し屋根の勾配がある方が、雪にも対応できていいのになんて思いましたが、素晴らしい建物です。

今回の短い熊本の旅を終えて
阿蘇山近辺に住んでいる人たちにとって広大で美しいカルデラの風景はとても他では手に入らない大切なものだろうと言うことが容易に想像でるすばらしいとこです。
たくさんの有機農家がいて、自給自足的暮らしを目指している人たちもたくさんいるいいとこですね。



現地での地震への不安と同時に原発への不安、地震は人の手ではどうにもならない出来事ですが、原発への不安は人の手で取り除けるものです。一時も早い仙台原発の停止と伊方の再稼働の中止を願うばかりです。
そして皆さんの日常が早く帰ってきますように。
先日熊本に住んでいる友達の紹介ということで一つの電話がありました。
地震で家が壊れ別のところに土地を手に入れている場所に古いキャンピングカーがありそこで生活をしているので、電源が欲しい、、、、という話でした。
2011.3.11の時には自然ネネルギー関係の仲間で電気の来ていない地域に独立型電源を設置するというプロジェクトをおこなったことがあったので、今回熊本への支援はできないだろうかと相談したところ、手作り太陽電池で国際支援を行っている「国際協力NPOソーラーネット」からプールされている資金を利用したらない資材を調達、デッドストックのパネルなどを積み込み、熊本に行くことになりました。
ソーラーネットのブログ
バッテリーは今回、九州大分の「かのうシルバーサービス」から提供していただきました。
ちょうど同じ時期に熊本でロケッットストーブを作りに行くを計画していた友達と一緒にハイエースに支援物資その他の材料をめいっぱい詰め込んでのいざ熊本へ
まず向かったのは南阿蘇市の知り合いの所、吉田俊郎さんの「種まきハウス」一時的な断水や敷地に大きな石が落ちてきたりというようなことは少なからずあったそうですが、幸い大きな被害もなく、暮らしそのものをoff gridにシフトする試みをしていたりで、暮らしが大きく不自由になることはなかったそうです。今ではつながりのあるところから送られてきた物資を被害地域へ届けたり、ボランティアで訪ねる人たちのサポートなどをされています。
私たちもすっかりお世話になりました。
次の日には知り合いが立ち上げた「南阿蘇よみがえり」という支援団体に向かい、一緒に行ったちゃん山が持ってきた支援物資を届け、一斗缶で作るロケットストーブを役立ててもらおうということで、3台を製作。



後日この場所にもソーラー電源のセットを設置しました。



連休などボランティアの人たちが増えた時などの携帯充電などに使いたいということでした。
次の日は今回行くきっかけになったキャンピングカーへの独立系電源の設置。
森を切り開いた何もない場所でキャンピングカー1台からの暮らしですが、小さな電源が少しでも役立てばうれしいいですね。




次に日には古い友人の子供であるあけるちゃん(関東からの移住者ですでに5人の母)からの提案で子供たちは学校が休みになっていているので、一緒にロケットストーブを作るワークショップをして欲しいという要望。何も準備していなかったのですが、もしかしたら少しでも役に立てればと思い、急遽子供と一緒につくるロケットストーブのワークショップを行いました。
まずは世界で一番使われているといわれているスリース トーン ストーブ(石を3つだけ置いて使う原始的なもの)を作り、ちゃん山オリジナルの一斗缶ロでつくるロケットストーブとレンガを組むだけでできるストーブ、出来上がったストーブでご飯や天ぷらを作り、昼ご飯をいただきました。
美味しかった。






この集まりの最初に自己紹介をしてもらい、みんなどんな被害があったのかも一緒にお聞きすることができました。ほとんどの人がお皿などが落ちてこわれた。家のなかは危ないので一時的に他のところに避難していた。東関東大震災のときもそうだったけど、子供の精神状態が不安定になった。家がいつ壊れるのか不安があり、庭で暮らしているという人。などなど、やはり地震の心配と、稼働中の原発に対する不安を抱えながらの生活のようです。
もう一箇所独立電源システムを設置したのは、阿蘇郡産山村の横溝さん宅です。ここも震源地に近く、揺れはかなり大置きかったそうで、ちょうど家の中を改造中で仮付けした梁が落ちてきたり、ストーブの煙突が離れてしまったり、お風呂の床に地割れができたりと被害はあるものの、地震さえなければ中で住める状態のお宅、そして地震が強い時はすぐ脇の広い空き地に近所の人たちが非難されてくるような場所です。そういう時には独立電源を共有し、携帯の充電やちょっとした照明に使ってもらえそうです。





近所が震源地になった6時間ぐらい前にとっても珍らしい雲を見たそうです。
(カメラの中の写真で見えづらいけど、確かに普通ではない雲に見えました)

この阿蘇周辺には福島原発以後放射能を避けるために多くの人たちが移住してきている地域で沢山の知り合いもいました。
今回友達になれた人たちもいます。
みんなできるだけエネルギーは自給したいという思いで暮らしていた人達です。なかにはすでにかなり自給体制ができていて今回の地震でも特別大きな被害はなく、周りへの支援をしたりしている人達もいます。
現地では電気の復旧は早く、まずは各地の電力会社が電源車を持ち込み、送電線に接続し、電気を流し、それと同時に配線網の復旧を行い驚くぐらい早く復旧するようです。しかし行った時には時々停電がある状態でした。
停電時や家がなくなった人などは独立電源は必要なんでしょうが、今どうしても独立電源が必要という場所はそれほど多くはない気がしました。しかし再び配電網が切断されるような地震がある場合などの備えとしてはとても役立つ道具なので、もしも今後どこかで必要な場合にはできるだけ対応したいとソーラーネットでは考えています。
阿蘇の着いて一番に目に付いたのは多くの自衛隊車両です。災害がある時にはとても力強い仕事をしてくれているのでしょうが、なんで迷彩服をきているのか疑問です。もっと救助隊的な分かりやすい服装にした方がいい気がします。




揺れの大きかったところでは軒並み石碑やお墓が倒れていました。





阪神大震災の時から東日本大震災の時にも、すぐに駆けつけて親子カフェということで、子供の保育所のようなことをボランティアで行っていました。大人たちは自宅の片付けその他で大忙し、保育園も、学校もやっていない時にとても助かるボランティアだろうなと思いました。まだ定住できる宿泊場所ないままでもボランティア活動、そして支援はまだまだ長期的に考えられているようでした。
もしも子供たちにできる支援のアイデアがあるひとはぜひ連絡してみてください。

自宅に住めなくなった人の仮設住宅として使ってもらいたいということで、建てられたものです。4Mの貫材を組みあわあせて作ります。屋根は防水のテント生地で作られています。
もう少し屋根の勾配がある方が、雪にも対応できていいのになんて思いましたが、素晴らしい建物です。

今回の短い熊本の旅を終えて
阿蘇山近辺に住んでいる人たちにとって広大で美しいカルデラの風景はとても他では手に入らない大切なものだろうと言うことが容易に想像でるすばらしいとこです。
たくさんの有機農家がいて、自給自足的暮らしを目指している人たちもたくさんいるいいとこですね。



現地での地震への不安と同時に原発への不安、地震は人の手ではどうにもならない出来事ですが、原発への不安は人の手で取り除けるものです。一時も早い仙台原発の停止と伊方の再稼働の中止を願うばかりです。
そして皆さんの日常が早く帰ってきますように。
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